伸びたいと願う教師として 授業参観から思ったこと
- 公開日
- 2014/05/22
- 更新日
- 2014/05/22
校長の部屋
先日、授業参観が実施されました。参観される保護者への「見える化」として、本年度から、単元名や内容を掲示す試みをしています。
私も、2時間公開で、保護者の目線や生徒の気持ちになって、わくわくしながらたっぷりと授業の様子を見せていただきました。保護者の方々とも廊下等でちょっとしたふれあいや言葉かけができ、楽しいひとときでした。
全員参加型の「わかる授業」を展開している教室は、生徒が生き生きと取り組んでいて、好感が持てました。「わかる授業」とは、生徒にとって、「見える化」がきちんと試みられていました。板書を見ると一目瞭然です。
課題や目当てがしっかり提示されている。
わかりやすいモデルが提示してある。
板書が計画的で、分類や学びの経過が見えてくるような構造的なものになっている。
これらは、すべて、生徒に親切で、わかりやすい授業を作っている要素です。
さらに、
個人で考える、作業を伴う、考えを交流したり確認したりする場面の設定、など、
生徒の身になって工夫がこらされた展開に遭遇し、うれしくなりました。
「授業で勝負する」という言葉は、なかなか安易には使えないものと実感しています。
いつも、様々な授業を参観させていただくたびに、以下の大村はま先生の文面が思い浮かんできます。
一人前の教師として職業技術を十分に練っていかなければと思い、そのために私たち教師は研修や研究会に参加します。・・・・・略・・・・・・・しかし、研究する・研修することには、大切な意味があります。子供は、高いものにあこがれ、自分をそこまで前進させようとひたむきに願っています。身のほども忘れてと言いたいほど、伸びよう、伸びたいとと願っています。その切ないほど伸びたい気持ちと、研修を通してこそ、私たちは共感していけるのです。そういう魂をもっていれば、世代を超えていつまでも子供とともにある、といえるのではないでしょうか。年齢的に若くても、伸びようという気持ちを持たない人は、子どもとは無縁の人です。 大村はま「教えるということ」より
最後の一文はいつも心をえぐります。ますます、私たちFKC42も生徒のように一緒に学び合って、伸びていきたいと思いました。私も、まだまだ、伸びたいと思う教師の一人であり、生徒と深く魂を共有したいと願ってやまない教師の一人である・・・・そういった思いを深くしました。