冬休みが明け、1月学校生活が始まりました。
先日、お知らせしましたように「学而門」からの出入りができなくなりました。
今日、1時間目の全校集会(オンライン利用)で「学而門」についての話がありました。
おりたたみ記事に掲載します。
また、学而門についての説明はこのリンクを開いてください。→学而門について
令和4年1月7日 冬休み後1月集会 講話 2022.1.7 Zoom
皆さん、あけましておめでとうございます。令和4年のスタートです。新しい年を迎えるにあたって、新たな目標は立てましたか?目標づくりは、自身の努力の物差しとなります。ぜひ、身近なことでよいので目標を立てて、1月今日からの学校生活を送りましょう。
さて、今日は扶桑中の歴史について少しお話をします。
扶桑中学校は、戦後新制中学として昭和22年4月1日に開校しました。そして、皆さんも見慣れている校章はその年の4月26日に制定されています。この頃は、扶桑北中学校はなく、扶桑中学校だけでしたので、校章は柏森、高雄、山那の地域を3つの桑の葉で表しています。そして、校歌が制定されたのは開校6年後の昭和28年2月18日でした。昭和36年から皆さんが使っている鉄筋校舎の建設が始まり、体育館はさらに12年後の昭和48年に竣工されています。令和4年で、開校75周年を迎えることとなります。皆さんのおじいさんやおばあさん、保護者の方で本校の卒業は多数いると認識しています。
話は変わりますが、1月から始まった多機能児童館の工事で、皆さんやこれまで卒業生が利用してきた「学而門」が取り壊されます。この学而門は昭和43年3月14日に建造されました。先生は昭和37年生まれですので、当時5歳の年長さんの頃となります。この学而門は第21回卒業生の卒業記念として作られました。多機能児童館が建設される場所には、当時「扶桑町中央公民館」がありました。現在は、扶桑北中の南に中央公民館はあります。学而門の完成にあたり、第21回卒業生がとても勉学に励んだ生徒たちだったので、第四代校長 仙田 正 先生が、論語「学而第一」を引用し命名したことを当時の学校新聞の記事から知りました。学校の門で名前のついた門があることはとても珍しいことです。
ここで、「論語 学而第一」の紹介をします。
師いわく 学びて時にこれを習う また喜ばしからずや
友あり 遠方より来る また楽しからずや
人知らずして憤らず また君子ならずや
現代訳は
孔子が言った 学んだことを復習するのは 喜ばしいことだ
友人が 遠くから訪ねてくるのは 楽しいことだ
他人に理解されなくても気にしないのは立派なことだ
という訳です。この内容は、学校のホームページにもUPしておきますので、時間のある時に読んでみてください。
「学而」 ここにいる皆さんからも、これまでに何度も見てきた姿と言えます。門は、なくなっても「学而」の精神をこれからも扶桑中学校の伝統として引き継いでいってほしいと強く願います。